ADHDとどうして診断されたのか、そうなったきっかけはすでに書きましたので、
ADHDと診断された後どうなったのか少し書いていこうと思います。
ADHDと診断され、妻にそのことを報告したときは、
「そうやったんや。そう診断されてどう?」
というような、そこまで驚いていないような、どちらかといえば僕のことを心配しているような感じでした。
「まぁそんな感じは少ししちょったし、とりあえず診断されて、アドバイスもらったことをやってみるわ。」
「そっか。できることがあれば言ってね。」
そんな感じだったと思います。
色々こうしたほうがいいとか、ああしろとかは言いませんが、
妻は発達障害に関する本や夫婦仲を保つための本をこのころはよく読んでいました。
僕のために、また妻自身の心の平穏を保つために必死だったんだと思います。
妻だけでなく家族にもこのことを報告しました。
僕と同じく少なからずショックを受けていました。
特に母に関しては、
「気づいてあげられんでごめんね。」
と、言っていました。なんだか、僕の方が申し訳なくなるようなそんな気持ちになりました。
でも、家族みんな口を揃えて、
「ADHDやけん何か変わるわけじゃないし、こんぱすはこんぱすや。
むしろそういう特性があるとわかってよかったやん。対策が立てられるね。」
と、前向きに捉えてくれました。
それからというもの、母は何か使えそうなものがあれば教えてくれたり、買ってきてくれたりしました。
僕はワーキングメモリー(作業に必要な情報を、一時的に保存し処理する能力)が低いので、TODOリストがすぐわかるようなものだったり、メモ帳だったり。
最初は使っていたのですが、うまく使いこなすことができず、結局全部使い終わる前にどこかにいってしまいましたが…
しょっちゅう連絡もしてきました。
「仕事はどうかい?順調かい?」
と。それだけ心配だったんだと思います。
また、信頼できる同僚にもADHDと診断されたことを相談したら、今まで以上に足並みを揃えてくれました。
1人で仕事をして負担にならないように、投げ出してしまわないようにしてくれていたんだと思います。
本当に僕は周りに恵まれていると思います。
職場から離れるような経験をして周りに迷惑をかけることもあったのに、周りの人たちはとてもサポートしてくれました。
最初のうちは僕も
「自分のことが少し分かった。特性を理解して、自分のことをもう一度見直して、一から頑張ろう!」
そう思っていました。
困ったことがあったら周りに相談して、できるだけその日のうちに仕事を終わらせて、次の日の準備をしっかりして、と全力でがんばっていきました。
でも、それが1年と続くことはありませんでした。
今回はこの辺で終わろうと思います。
読んでくださってありがとうございます。